横浜大洋時代
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1978年、西武鉄道グループの出資を受け入れ、同社の主導で横浜市に建設した横浜スタジアムに移転、都市名を入れた横浜大洋ホエールズ(よこはまたいよう-)に改称。これにより川崎時代よりファンが急増したとされる。オーナーであった中部謙吉が前年に死去し、親会社の大洋漁業は長男の中部藤次郎が、大洋球団は三男の中部新次郎がオーナーとなる。国土計画(現コクド)の堤義明は、大洋の球団株を持っていたが西武ライオンズ買収のため、ニッポン放送とTBSへ2:1の割合で球団株を売却。
1982年、長嶋茂雄を監督に招聘する布石として関根潤三を監督に迎えたが、長嶋招聘は失敗した。
1982年のシーズン終了間際の試合で、打率1位であった長崎慶一に6厘差で迫っていた田尾安志を5打席連続敬遠し、長崎を首位打者にしたもののチームは先頭打者での敬遠で走者となった田尾をあっさりホームへ返してしまうなど大差で敗れ、その結果田尾の所属する中日ドラゴンズの優勝が決まった。ちなみにこの試合の前は中日と巨人が並んだ状態であり、大洋が勝利した場合は巨人が優勝だった為、巨人ファンからは「回の先頭打者である田尾へ敬遠した大洋の行為は故意敗退行為だ」と連盟に試合の無効を主張する抗議(結論は却下)が行われ、巨人ファン以外からも「リーグ優勝が決まる試合でチームの勝利よりも個人の記録を優先させるのはどうか」という苦言が集中した。
1985年、近藤貞雄が監督に就任。「スーパーカートリオ」(後述を参照)を売り出し注目されたものの、チーム成績は振るわず近藤貞雄監督は2年で退任。
1987年には広島を4度の優勝に導いた古葉竹識を監督に迎えるが、思い届かず低迷。
1992年11月11日、親会社の大洋漁業がコーポレートアイデンティティ実施によりマルハに改称することに伴い、横浜大洋ホエールズも地域に密着した市民球団を目指し、球団名を横浜ベイスターズに改称した。またこの時、中部藤次郎の死去により、弟中部慶次郎が大洋漁業社長となり、球団のオーナーにも就任した。球団名から「大洋」を外し、都市名の「横浜」のみを冠するという方針はCI導入決定時に決まっていたが、改称後の球団名は社内外では当初、愛称をそのまま使用した「横浜ホエールズ」になるという憶測があった。が、中部はかつて大洋漁業の主力事業であった商業捕鯨の規制が強まっていることを指摘し「ウチの会社はもうこれ以上、クジラばかりに頼るわけにはいかなくなった。だから愛称も変更しなければならない」と、社内に新愛称を検討するよう指示し、その結果、愛称は「ベイスターズ」となった。余談だが翌年、訪米した宮澤喜一首相が、捕鯨の規制強化を求めるビル・クリントン大統領に対して「かつての日本の商業捕鯨の中心であった大洋漁業もホエールズという球団名を捨てました」と、この大洋の球団名変更を話の種にしている。
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1978年、西武鉄道グループの出資を受け入れ、同社の主導で横浜市に建設した横浜スタジアムに移転、都市名を入れた横浜大洋ホエールズ(よこはまたいよう-)に改称。これにより川崎時代よりファンが急増したとされる。オーナーであった中部謙吉が前年に死去し、親会社の大洋漁業は長男の中部藤次郎が、大洋球団は三男の中部新次郎がオーナーとなる。国土計画(現コクド)の堤義明は、大洋の球団株を持っていたが西武ライオンズ買収のため、ニッポン放送とTBSへ2:1の割合で球団株を売却。
1982年、長嶋茂雄を監督に招聘する布石として関根潤三を監督に迎えたが、長嶋招聘は失敗した。
1982年のシーズン終了間際の試合で、打率1位であった長崎慶一に6厘差で迫っていた田尾安志を5打席連続敬遠し、長崎を首位打者にしたもののチームは先頭打者での敬遠で走者となった田尾をあっさりホームへ返してしまうなど大差で敗れ、その結果田尾の所属する中日ドラゴンズの優勝が決まった。ちなみにこの試合の前は中日と巨人が並んだ状態であり、大洋が勝利した場合は巨人が優勝だった為、巨人ファンからは「回の先頭打者である田尾へ敬遠した大洋の行為は故意敗退行為だ」と連盟に試合の無効を主張する抗議(結論は却下)が行われ、巨人ファン以外からも「リーグ優勝が決まる試合でチームの勝利よりも個人の記録を優先させるのはどうか」という苦言が集中した。
1985年、近藤貞雄が監督に就任。「スーパーカートリオ」(後述を参照)を売り出し注目されたものの、チーム成績は振るわず近藤貞雄監督は2年で退任。
1987年には広島を4度の優勝に導いた古葉竹識を監督に迎えるが、思い届かず低迷。
1992年11月11日、親会社の大洋漁業がコーポレートアイデンティティ実施によりマルハに改称することに伴い、横浜大洋ホエールズも地域に密着した市民球団を目指し、球団名を横浜ベイスターズに改称した。またこの時、中部藤次郎の死去により、弟中部慶次郎が大洋漁業社長となり、球団のオーナーにも就任した。球団名から「大洋」を外し、都市名の「横浜」のみを冠するという方針はCI導入決定時に決まっていたが、改称後の球団名は社内外では当初、愛称をそのまま使用した「横浜ホエールズ」になるという憶測があった。が、中部はかつて大洋漁業の主力事業であった商業捕鯨の規制が強まっていることを指摘し「ウチの会社はもうこれ以上、クジラばかりに頼るわけにはいかなくなった。だから愛称も変更しなければならない」と、社内に新愛称を検討するよう指示し、その結果、愛称は「ベイスターズ」となった。余談だが翌年、訪米した宮澤喜一首相が、捕鯨の規制強化を求めるビル・クリントン大統領に対して「かつての日本の商業捕鯨の中心であった大洋漁業もホエールズという球団名を捨てました」と、この大洋の球団名変更を話の種にしている。
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